プロフィール
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さのようこ
昭和42年6月2日生
生活習慣病予防指導士
NPO法人 日本ホリスティック医学協会会員
イタズラの激しい5年生となんでも美味しい2年生のふたりの娘の母。
小学校にスクールパートナーとして通いつつ、楽しい毎日を送っています。
保育園の頃は体が弱くて、丸1ヶ月園を休んだので園から
「月謝をお返ししましょうか」と云われるほどでした。
小学1年生の時に【ぼんのくぼ】に、大きな
しこりが出来て検査をした結果、視力低下に
よるものと判明。
すでに視力が0.1ほどしかなかったので
即メガネ。
そのときの検査で、左右の骨の発達が違いも判明。
左側の骨が細く、バランスが悪いために
小さいときから転びやすく右の足首は常に痛いというお粗末さ。
「神経痛が痛くなるから」という理由で、プールの授業を見学することもしばしば。
小学生の頃のあだ名といえば、なんのひねりもなくメガネザル。
かといって、サルのような運動神経もナシ。
どちらかといえば、図書館の本を端から読みあさるタイプでした。
中学、高校と年を追うごとに体力がなくなり、高校では学校に着いたものの、そのまま保健室で寝ていたので、駅でわたしを見かけたクラスメイトが「登校拒否」の噂を流されました。
この頃は生理痛がひどく、排卵でも腹痛があり、生理の時には、必ず吐いていたのを覚えています。
一度風邪をこじらせる10日くらい長引くし、
高熱の度に、最近の記憶がなくなるので、勉強が全くできなくなったのもこの頃。
とうとう風邪をひく前に調子が悪いだけで、学校を欠席。
「雨が降ったらお休みで~♪」などとハメハメハ大王の子どものような生活を送っていました。
「勉強をする時間があったら睡眠」をモットーとして、学生時代を過ごしました。
その後もいろんな健康法を試しましたが、一度悪くした体はそう簡単によくなる事もなく、じっくりと時間をかけながらもいろんな健康法のいいとこ取りで、今では風邪ひとつひかない体になりました。
こんなわたしの小さい時の記憶といえば母と弟とわたしの誰かがいつも寝込んでいたこと。
おかげで、30年前に使った医療費は毎月10万円以上。
今のお金に換算したら……?
近くの薬局が大きくなったのと、あの病院が建て替えたのは、ウチが少なからず貢献しているはず?!
そんな時に母が一大決心。
「同じお金を使うなら、食事の勉強をしたい」
そんなワケで、食養に携わって四半世紀以上。
店を始めて今年で11年──なのはウチの母。
わたしは、まだまだ門前の小僧で勉強中なのです。
- 2011.01.21
- 20:05
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